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まじゃべんちゃー30周年を迎えました

昨年(2014年)は、その昔作った「まじゃべんちゃー」というパソコン用ソフトの最初のバージョンが発売されて30周年となりました。
あまりにも昔のことで忘れそうなので、節目の年に当時のことを書き残しておこうと思います。
なんか書いていたら長くなってしまったのですが、30年前のパソコンソフトを作っている時代って、こんな環境だったんだ…という資料になれば嬉しいです。


まじゃべんちゃー・ねぎ麻雀 ONION software/E.NAO/テクノポリスソフト 1984,1986(C)

さて、「まじゃべんちゃー・ねぎ麻雀」は、当時の8bitパソコン PC-8801上で動作する脱衣麻雀ゲームです。もともと同人ソフトとして発表していたものですが、後に改修してテクノポリスソフト(徳間書店)から市販されました。
基本的には、コンピューターと対戦しながら勝ち進めていく麻雀ゲームですが、アドベンチャーやパワーアップ要素があり、全体としてはよくわからない勢いと若さが溢れるソフトになっています。
後に、PC-9801版、X1版、ファミコン版など様々な機種でも発売されていますが、ここでは主に初代のPC-8801版について話をしていきます。


まじゃべんちゃータイトル・ゲーム画面

このソフトが動作するPC-8801は、現在のパソコンから比べると圧倒的にスペックが低く、画面の表現にも色々な制約がありました。
この機種は、後に「ハイドライド」や「イース」、「ソーサリアン」、「シルフィード」などのソフトが登場する当時の代表的なホビーパソコンとなるのですが、発売された当初は、まだビジネス機としての色彩が強く、本体の価格も20万円(ディスクやモニタは別売)を超える高額なものでした。
自分は、1983年頃に初代PC-8801の中古品を安く譲ってもらいました。それまで、このビジネス機にはあまり興味がなかったのですが、安いならば買ってみようかという程度の気持ちだったと思います。
当時のパソコンは、機種ごとにソフトの互換性がありません。機種を選ぶことは、今で言うと、家庭用ゲーム機の機種を選ぶのに近い感覚があります。プレステや3DSに、専用のソフトがあるのと同じように、PC-8801という機種にも対応した専用のゲームソフトがあり、他の機種用のソフトは遊べないわけです。安い買い物ではないので、この選択は重要です。
その頃すでに、PC-6001AppleII(の互換品)という機種を持っていたので、それに比べるとPC-8801に対応したゲームソフトのラインナップは、(その当時はまだ)魅力が乏しかったのです。


NEC PC-8801(初代)

とはいうものの、せっかく手に入れたので何か作らないともったいない…ということで、最初に作り始めたのが、まじゃべんちゃーだったわけです。
まじゃべんちゃーは、パソコンソフトでは初の脱衣麻雀ということになっています。そうでないとしても、かなり早い時期に出たのは間違いありません。まだゲームセンターで脱衣麻雀ゲームというジャンルが登場したばかりの頃で、よく通っていた新宿のゲームセンターにあった「ジャンゴウナイト」「ナイトギャル」といったアーケードゲームを仲間内で遊び、盛り上がっていたのを覚えています。


当時のアーケード脱衣麻雀ゲーム(日本物産株式会社)

そんな中で、グラフィックを担当した江南 直緒(E.NAO)さんと、このゲーム(脱衣麻雀)ならパソコンで作れるんじゃないか、という話になったのが製作の直接のきっかけになりました。
その当時はまだアダルトゲームというカテゴリもなく、アニメ調のキャラクターが表示されるパソコン用の市販ソフトというのは極めて稀でした。むしろ、初期の同人ソフト「ニコニコ女の子パズル」などに見られるように、アマチュアが作ったソフトの方が、この分野に関しては進んでいる時代だったと思います。


初期の同人ソフト「人魚の涙」、「ニコニコ女の子パズル」

脱衣麻雀ゲームを作るにあたって最初に始めたのは、グラフィックツールを作ることでした。
当時は、ツールも含めて必要なものは自分で用意するのが普通でした。PC-8801には、640×200ドットのグラフィック表示機能はあったのですが、単色の線や点を描画したり、塗りつぶしたりといった初歩的なサポートがあるのみで、それらが絶望的に低速だったために、実際にはツールを含めて描画部分を自作する必要があったのです。
ということで、最初にPC-8801の仕様を覚えながら、GPE-880という名前のグラフィック用ツールを製作しました。これにより、ドット絵や1枚絵のデータを作成することができるようになりました。


GPE-880によるデータ作成画面

グラフィックツールができたことで、麻雀牌のドット絵を作ることができます。これを表示しながら、いよいよ2人対戦麻雀の試作を始めました。もともと、ゲームセンターの麻雀をよく遊んでいたのと、仲間内でリアルに麻雀もしていたので、パソコン上で動く麻雀ゲームを作ってみたいと思っていました。
麻雀のシステム自体はすぐにできましたが、脱衣する部分は何もない状態で、何とも味気ないものだったので、友達の家で家族麻雀をするという謎のストーリー演出と、対戦相手に性格を持たせるという要素を加えました。
この頃は、学生の頃から麻雀を遊んでいる人が多く、自分も高校生の頃から、色々な場所で打っていました。そんな経験からか、コンピューターと対戦する麻雀でも相手の個性をもっと持たせたいと思っていたのです。
個性と言うと聞こえがいいんですが、かなりめちゃくちゃです。あらゆる手を使ってタンヤオだけを狙ってくる「タンヤオたっちゃん」はまだいい方で、高い確率で一発ツモできる「パワーヅモOXYGEN」、異常に手牌が良い「POWER中澤」、さらには反則行為(少牌や山崩し)をしてゲームを邪魔するキャラクターなど、もはや麻雀のルールを踏み越えた戦いを挑んできます。
最初に作った時点では、特に市販するとか即売会で売るということは何も考えず、単純に仲間内で公開してウケたらそれでいいかな…という意識でいました。そのため、対戦する相手はすべて実在の人物をモデルにしていて、ゲーム中に突然話しだす内容もまったく意味不明の内輪ネタ。主人公のキャラも謎のタマネギという、知っている人は盛り上がるものの、傍から見るとかなり混沌とした一品になりました。


脱衣のない初期の試作版

実際、仲間内で公開したところ好評だったので、いよいよ江南 直緒さんに、ここ(黒く空いている部分)に女の子の絵を入れてよ…と依頼をしました。今となっては、アイコンにもなるくらいの表示サイズ(256×168ドット)なのですが、これが大変なのです。
当時の大きなテーマの1つは、大きいサイズの1枚絵をパソコンの画面上に、どうすれば効率的に表示できるかということでした。現在ならば、スキャナーもありますし、ペンタブレットもあります。デジカメで原画を撮影して、それを下書きとして使うこともできるでしょう。
そういった技術がまだ難しかった当時、多くのユーザーが実践していたのは、画面上に線を1本1本引きながら、色を塗るという方法でした。


線と塗りつぶしによる作画の例

パソコンの記憶領域が少なく、画像全体を保存することが難しかったということもあり、座標と色の情報だけで大きな絵を作ることができるこの方法は、広く使われていました。その当時に流行していたアドベンチャーゲームでも使われていた手法ですが、直線を組み合わせて下絵を作るので、微妙な曲線やタッチなどを表現するのが難しいという問題もありました。このため職人的な技術が必要となり、その後「CG職人」のような人たちを生み出すことにもつながっていったのです。
画面上に直線を引く場合は、座標を数値で入力したりキーボードでカーソル位置を指定するという操作が必要になりました。(この当時、まだマウスは一般的に使われていませんでした)
元になる絵を方眼紙に描いて座標を取ったり、ラップフィルム(サランラップなど)に元絵をトレースして、モニタに直接貼り付けて座標を取る(ラップスキャンと呼ばれる)方法など、アナログな方法でなんとか絵をデータ化していたのです。


座標を取るために方眼紙を使った例。初期のテストデータ作成に使われましたが、後に別な作成方法に変わりました。

PC-8801はデジタル8色という決められたカラー表現しかできませんでした。そんな中で、何とか肌色を表現するために、黄色・白色・赤色などのドットを組み合わせてタイル状にした「中間色」と呼ばれる技法を使っていました。
これをキャラクターごとに、脱衣できるように衣服をバラバラにして作成するのは、かなり大変な作業ですが、江南 直緒さんは一人でこの作業を黙々と続けていたのを覚えています。


製作された女の子キャラクター

やがて、脱衣する女の子も入って、かなり完成形に近づいてきた頃、このソフトを仲間内で見ていた人から声をかけられました。

「このゲームにいいタイトル考えたんだけど…『まじゃべんちゃー』はどうかなぁ…。」

彼は、当時電波新聞社から発売されていたX1版の「マッピー」というゲームを作っていた内田さんという人で、たまに謎のアドバイスをくれることがありました。
この時点では、まだ正式なタイトルが決まってなくて、オニオンソフトでタマネギが出てくるので、何となく「ねぎ麻雀」と呼ばれていたのですが、なぜ急にタイトルを考えてくれたのかは謎です。

「あのね、『麻雀』と『アドベンチャー』を足した造語で…いいでしょ!」

と自信満々のご様子。聞いたことのない語感に、一瞬「また不思議なことを言い出したな…」、と思いましたが、インパクトのある言葉だったので、何度も言っているうちに「まじゃべんちゃー」が仲間内でも定着し、OXYGENさんによってタイトルロゴも作られました。
ただ、「アドベンチャー」を冠しているわりに、それらしい要素がゲームには入っていませんでした。だったらということで、ゲームの途中で女の子が現われてストーリーを選択する、アドベンチャーゲーム(のような)シーンを入れることにしました。
タイトルに合わせるためにゲームの構成を変えるという、いい加減な展開でしたが、このタイトルでゲームの方向性が決まったので、とても良いタイトルだったんだなぁ…と今になって思います。


追加されたイベントシーン

そんな経緯で、ストーリーは強引に途中から悪代官桔梗屋に苦しめられている町娘を救うために立ち上がるというバトルもの(?)になります。
ここで登場するのが、パワーアップするための「積み込み」という要素です。最初のパートで対戦した成績に応じて、パワーポイントがプレイヤーに与えられます。
このパワーを消費する形で、積み込み…つまりインチキをして手牌を有利に替えることができるというものです。
たとえば、20ポイントを消費する「牌交換」では、最初の1回だけ不要な牌をまとめて交換することができます。他にも、タンヤオを作りやすくする「タンヤオ積み込み」、清一色を作りやすくする「同種牌積み込み」など高い手役を作る積み込み技が用意されていました。


「積み込み」の選択画面

これもゲームの当初から考えていた機能です。そもそも、敵の手作りが普通じゃない時点で、正統派の麻雀には程遠いわけで、プレイヤー側もガンガン勝てる邪道な仕組みでバランスを取った感じです。
おかげさまで、それまで見たことのない積み込みの機能は、その後のアーケード脱衣麻雀で標準的に使われるようになりました。短期決戦でテンポ良くゲームを進めるには、これも1つの方法だったのだと思います。
その後、ボス(桔梗屋)との戦いとエンディングを入れて、ひととおり完成版となりました。気を良くしてしまった自分は、せっかくなので少量を同人の即売会に持って行くことにしました。
当時すでに同人即売会でパソコン用のソフトを出しているサークルも、ごく僅かにありましたが、CG集やパズルゲームのようなものが多く、麻雀ゲームはかなり珍しい部類だったと思います。仲間内で同人即売会にサークル参加をしていた人もいたので、最初はそのスペースに間借りをしていました。それがコミケだったかどうかは、ちょっとよく覚えていません。


悪の桔梗屋登場とエンディングシーン

こうして、内輪ネタ満載ながらも、内輪以外の人に少しだけ遊んでもらうことになりました。まあ、ネタがわからなくても脱衣麻雀としては遊べるのでいいかな…ということで。
そうしているうち、ある日突然、それまで何の面識もなかった徳間書店の人から自宅に電話がかかってきました。

(これはやばい…怒られる…。)

思わずそう思ったのには理由があります。同人ソフトとして出していた「まじゃべんちゃー」は、ディスクの読み書きを行なうオペレーティングシステム(DOS)に、徳間書店から発売されていた「SWEET-88」というソフトの一部を流用していたのです。
当時NECが添付していた純正のDOSは、メモリ効率が悪くゲームでの使用には向いていませんでした。「SWEET-88」は軽量で、自作のゲームを起動させるのに最適なソフトの1つでした。

で、実際の電話の用件は、「『まじゃべんちゃー』を一般流通のソフトとして販売したい」というものでした。
これには、さらにびっくりしました。どこの誰ともわからない自分たちのソフトをいきなり評価してくれただけでなく、自社ソフト「SWEET-88」の流用にも目をつぶってくれたのです。
当時、パソコン雑誌「テクノポリス」を発売していた徳間書店では、それ以前からオリジナルのソフトを開発して販売していたのですが、同人ソフトを買い上げるというのは初めての試みでした。


当時のテクノポリス誌。同人ソフトを大きく扱うなど独自の路線を歩んでいました。

話は順調に進んで、市販版の「まじゃべんちゃー」に向けて準備が始まりました。そのままでは、ちょっと完成度が低い部分が多く、何とかしたいと思っていたのです。
まず、DOSの問題、グラフィックの描画が遅い問題、さらには麻雀の役判定がいい加減という問題も抱えていました。麻雀の役判定では、私がよく麻雀をしていたにも関わらず、ありえない役名が出たり、点数計算に誤差が出るというひどいもので、周囲からつっこまれていました。
そんな中、市販版に向けては、対戦相手のモデルとなった仲間内のメンバーも協力してくれることになり、完成度が高いものへと進化していきました。
まず、すでに市販ソフトを何本も手がけていたXKD(竹内信和)さん(故人)が中心となって、システム面を改修してくれました。(XKDさんは、後に「ジーザスII」や「卒業」など様々なゲームを手がけます。)
他にも、音楽製作ツールSplitやAlpha-DOSなどを開発した技術派の神たまさん、Annex MIDIやMUSIC LALF(PC-98版)を開発したAnaさんなど、非常に優秀なスタッフが力を発揮していました。
私の方では、細かいセリフの変更やいらない機能(なぜかディスクのバックアップ機能などが付いていました)を削除するくらいで、後は完全にお任せだったと思います。
そして江南 直緒さんは、脱衣する女の子キャラクターを全員入れ替えたいという壮大な目標を一人でこなしていました。各キャラクターの制作秘話などは、江南 直緒さんのサイトにも書かれているので、興味のある方はぜひご覧ください。
結局、市販版として発売されたのは、作業を始めてから2年以上経った1986年10月25日でした。時間がかかりすぎて、ようやくという感じで、当日本当に発売されたのか、店頭まで確認しに行った覚えがあります。


販促用の広告チラシ

最初のPC-8801版が発売されてから後も、PC-9801版、X1版と移植版が製作されています。これらは、脱衣する女の子はすべて入れ替わっていますが、ゲーム部分は基本的に変わりありません。むしろ、私の方ではあまり何もすることなく、移植版ができてしまったことに当時びっくりしました。X1版に至っては、独自に解析して移植されたものが持ち込まれて、それが発売されました。
最終的には、非常に多くの人の手が加わり、稚拙で恥ずかしい部分もありながら、想い出深い作品となったことを嬉しく思っています。
その後も、「まじゃべんちゃー」という名前が冠されたソフトとして、「まじゃべんちゃー ~麻雀戦記~」(ファミコン版)、「まじゃべんちゃーII 全国おんせん麻雀」(PC-8801版)が発売されていますが、こちらは私自身は直接関わっていません。
もちろん、同時期に同じ徳間書店のテクノポリスでプログラミングの連載をしていたので、別に仲が悪くなったとか追い出されたということではありません(^^;
当時は、また別なジャンルのゲームを作っていたこともあって、続編の製作をしていることは知っていましたが、中途半端に口を出すのも何なので、私の手を離れて新たな「まじゃべんちゃー」となったのでした。

さらにその後、同人ソフトとしてWindows版の「まじゃべんちゃー2000」、「まじゃべんちゃー2001」が出ています。これも、初代まじゃべんちゃーとは関連がありませんが、私も一部関わっていて、ライトな脱衣麻雀として楽しめる作品になっているかと思います。

「まじゃべんちゃー」をめぐっては、色々と楽しいこと、驚いたことがありました。最初は何げない気持ちで作り始めたものですが、このソフトがあったおかげで、多くの人と出会う大きな転機になったのは間違いありません。
2014年末のコミケット87で、初代まじゃべんちゃーの記念グッズを置いてみたところ、思いのほか覚えていてくれる人が多かったのも、これを書くきっかけとなりました。
まじゃべんちゃー30周年を迎えて、当時を覚えている人、興味も持ってくれた人、みんな含めて感謝を伝えたいと思います。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。そして、また見る機会がもしあれば、どうぞ宜しくお願いします。

追記:
市販版の「まじゃべんちゃー」発売年が当初間違っていたので修正しました。正しくは、1986年です。
市販版からは、正確には30周年ではありませんが、同人版などを含めてほぼ30周年ということで(^^;

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Comments:6

エイエヌソフト 永田氏 15-01-24 (土) 10:58

30周年ですか!おめでとうございます。
2001を含め、ほぼ、すべてのバージョンを持ってます…(笑)
私の息子は高校生(もうすぐ大学生)なのですが、レトロPCファンでもあり、なんと88版のまじゃべんちゃーも大好きなんですよ。
「知ってるか?リーチしてないときにロンできるとき、リーチしてロンする裏技あるんだぞ(テクポリにのってましたよね)」といって、父親の威厳を見せました(笑)

Ve 15-01-24 (土) 12:20

興味深いお話でした。その当時からオニオンソフトだったんですね。

最初は内輪ネタを入れてしまうのも、実際同じ道を辿って来たのでよくわかります。
当時ネット環境も無かったので、友達や知り合いを登場させて、内輪で遊んで楽しむってのを私もしました。

今ではネットに公開すれば誰にでも遊んで貰えるので、逆に内輪ネタのゲームは作りにくいかもしれませんね。

rawkun 15-01-25 (日) 13:26

ザルバールの蒸留塔が大好きでしたねー。
あれは今でもやりたいゲームだけれど、
もうウチのPC98はさすがに電源すら入らなくなってしまった…
最近のゲームは映像ばかり綺麗で”ゲーム性”はつまらないのが悲しいです。
懐古といわれようとも、いいゲームは98時代のほうが多かった気がします。

123 15-01-25 (日) 19:36

懐かしい雰囲気が伝わってきました。
当時の事も思い出しますね。
読んでよかった。
あと本当はこうゆう感じの絵の方が
好きですね。今風の絵は受け入れがたい感じの要素を持ってると思うし。

<江南 直緒> 15-01-31 (土) 14:23

いろいろ<江南 直緒>の覚書

●同人版は、その即売会だけ使用って女の子が何人がいたはず。
●8801版の資料は、ほとんど残ってない。(置き引きにあったから…)
●8801版のサンプルが上がってきた日の夜、パッケージを抱いて寝てた。(こにこたまねぎの当時の棲家の浦和で。)
●8801版のパッケージイラストは、金が無くて売っちゃった。
●9801版からイメージスキャナNEC-IN502導入。(コレによってツールの仕様が若干変更になった。)
●9801版の時に描いたポスター原稿は、持ってったはいいけど大きくて持って帰るのが邪魔だったんでコミケで売っちゃった。
●9801版のFDのシールがはがれてPCからFDが抜けなくなるという苦情がユーザーからあったらしい。
●9801版X1版共にCG仕上げたのは8801。(だから9801でも200ライン。)
●X1版のディスクは、女の子が表裏逆。(インデックスホールの位置も合わせて描いたのになぁ…)
●X1版のパッケージの原稿料は、XKD氏預かりで、実はまだもらってない。
●MSX2版は、女の子全部小学生設定。(だから発売中止って訳じゃない。)
●MSX2版のCGはいいツールが無かったので、8801で作成。(女の子本体8色/服8色って割り方で別々に描いてた。)
●MSX2版について色々とゴタゴタが有ったので、実は私は徳間と仲悪くなってましたよ。(そんなことなので、私とにこにこたまねぎの交流は減っていったんだね~。)
●MSX2版はROM→FD→ROM→FDと二転三転した。
●パイデーター「中」だけは私が作りました。

<江南 直緒> 16-01-17 (日) 2:02

んと 一部で誤解があるみたいなんで追記
この記事にされてるのは 全部8801版の女の子です

あぐらの女の子(多分バニー)は同人版
青髪ポニーテールも同人版

日の目を見なかった女の子も カレンダーに収録

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